「太田久助吟製のいま」味噌屋の行く末を担う若き夫婦の挑戦に迫る

「太田久助吟製のいま」味噌屋の行く末を担う若き夫婦の挑戦に迫る

湯浅町の特産品として、なくてはならない金山寺味噌。その味と文化を守り続ける味噌屋のひとつが太田久助吟製(おおたきゅうすけぎんせい)です。

先代である5代目当主、太田 庄輔(おおた しょうすけ)さんから代替わりするという大きな節目を迎えた6代目当主、平野 浩司(ひらの こうじ)さん智子(ともこ)さんご夫婦と、庄輔さんと二人三脚で金山寺味噌を作り続けた奥様加寿代(かずよ)さんに「太田久助吟製のいま」についてお話を伺いました。

こんにちは、編集部のあいりです。本日訪れているのは伝建地区内にお店を構える老舗の味噌屋さん「太田久助吟製」今年新たに代替わりする太田久助吟製のこれからについて知りたくなったんです。

金山寺味噌って何?という方に少し解説しておきましょう。金山寺味噌はそのまま食べる「おかず味噌」で、米・大豆・麦を麹にして刻んだ瓜や茄子などの夏野菜を混ぜて熟成させることで出来上がります。

もともとは冬に野菜を食べるために考案された保存食だったというから驚きですよね。

ビタミン・ミネラルをはじめ、良質なタンパク質・食物繊維を含む最近話題の発酵食品なんです。免疫力を上げてくれるし、消化吸収も良い。私は発酵食品ブームに乗っかって金山寺味噌を食べ始めたところ、超快便になりました。今ではもう毎食のお供として欠かせない存在なんです。

太田久助吟製では、そんな金山寺味噌を長年作り続けています。江戸末期、はじめは醤油醸造元だった太田久助吟製は戦後まもなく金山寺味噌専業に転業しました。代々受け継がれた家業を継ぐ平野ご夫婦と、守ってきたものを後世に受け継いでいく太田加寿代さんの現在の想いとは…。

「丹精込めて作ったものをきちんと届ける」ということ

浩司さんはどちらの出身ですか?

産まれも育ちも湯浅町です。

こちらでお仕事する前はどんな仕事されていたんですか?

スーパーに勤めていたので、企画提案しながら商品を売るような仕事や食品の製造販売など幅広い部門でお仕事をさせていただきました。

現在とは違う分野でお仕事されていたんですね。

そうですね。これまでは人や機械を相手に仕事していたんですけど、今は生き物を相手にして仕事していますからね。

全く新しいフィールドでお仕事することに対して抵抗はなかったんですか?

うーん…チャレンジすることは昔から好きだったので、あまり抵抗はなかったですね。以前の仕事でもスーパーの惣菜部門を担当していた頃、料理に興味が沸いて調理師免許を取ったことがあって。そういう意味では、新しい分野を探究して極めることが好きなんですかね。

調理師免許!?とても行動力ありますね。

そうですね。でもあの時勉強したことが、今の仕事にも役立ってるんですよ。お味噌づくりをする上で包丁を握る機会が多いので、料理の勉強はしておいて良かったなぁと思います。

以前の仕事と今の仕事、大きく違うところはどこですか?

やっぱり「自分が作ったものを売る」というところですかね。以前は仕入れたものを売っていたけど、自分が作ったものとなると愛着が湧くんですよね。それに以前の仕事なら自分の代わりは沢山いたけど、今の仕事は違うように感じます。僕がいないと駄目っていうと大げさだけど、誰が作るかによって味も風味も全く変わってしまうので。

「将来的にお店を継ごう」なんて想いもあったんですか。

いやぁ…なかったですね。お義父さんからもそんな話一切されたことないですし。そもそも食わず嫌いで、あまり金山寺味噌を食べたことがないくらいでしたから。

そうなんですか。家業を継ぐと覚悟したきっかけは?

お義父さんたちが自分たちの代でお店をたたむ話をしていたんです。仕込みが大変だったこともあって、無理に後継ぎを探してまで続ける意向はないように思いました。でも結婚を機にお義父さんたちと交流する中で、この味を途絶えさせるのは勿体ないという気持ちが湧いてきました。

そういった経緯で、この店を残そうと決心されたんですね。

はい。以前の仕事も好きだったので葛藤はしましたが、僕がやるしかないなと思いました。

お店を継ぐにあたり、まずどんなことから始めたんですか?

はじめは、お義父さんと一緒に作業しながら教わりました。一年半ほど一緒に仕事をさせてもらいましたね。効率重視だったそれまでの仕事とは全く違うやり方ですが、手作業で手間をかけることの大切さを実感しました。

これから太田久助吟製の当主として代替わりする上で、大切にしたいことはありますか?

まずは受け継いだものを大事にしたいですね。味はもちろん、「自分たちで作ったものを、きちんとお客様に届ける」ということを真面目にやっていきたいです。

「愛され続けるために変化していく」ということ

以前からお店を継ぎたいという想いはあったんですか?

ありました。小さい頃からお店を手伝う中で、お客さんから「この味を残してほしい」という声をずっと聞いていたので。ただ、両親が夜中まで働く姿を見てきたので、女性一人ではとても後継ぎできないなぁ…という気持ちもありました。

浩司さんには「家業を継ぎたい」という想いを伝えていたんですか?

きちんと伝えたことはなかったかなぁ。彼のやりたいことを尊重してあげたいという気持ちがあったので。だから、彼の口からお店を継ぐという話を聞いた時はとても驚きました。今こうして夫婦揃ってお店を支えられていることが、とても有難いんです。彼には感謝しています。

これまで長年守られてきたお店を残していく上で、大切にしたいことはありますか?

やはりですね。「代替わりして、もっと美味しくなったね」と常連さんに言っていただけるように、精進しないといけないなぁ…と感じています。それに販売方法や広報活動においても、新しいことにチャレンジしていきたいですね!

「新しいこと」とは具体的にどんなことですか?

現在ホームページを制作しているところなんです。オンラインでの購入が可能になることで、もっと沢山の方に食べていただける機会が増えれば嬉しいですね。

受け継いでいきたい「丁寧に作ること」

家業を継ぐとお子さんたちから聞いたとき、どんな風に感じましたか。

驚きましたよ。お父さんも、本心はすごく嬉しかったんじゃないかなぁ。お父さんは叔父さんの養子としてこのお店を継いだ経緯があって、大変な面をたくさん知ってるから「継いでほしい」なんて言えなかったんだと思うんだけど。お店を残せると分かって、すごく安心したんじゃないかなぁ。

これまで、ずっと夫婦二人だけでお店を守ってきたんですよね。

そうだね。そこはお父さんが人の手を借りたがらなかったから、どんなに忙しくても二人でやってきたの。人の手を借りれば楽だけど、それじゃあ納得のいく味が作れないみたいで。お父さん頑固だから。でも、そのおかげで今でもこの味が守れているのかもしれないね。

大変だった思い出はありますか?

作るのも二人、売るのも二人だったから骨の折れる日々だったけど、その分やりがいがあったし、今思えば楽しい思い出ばかり。初めて百貨店で販売した頃なんて商品をどれだけ持って行けばいいか分からなくてね。商品数が少なすぎてお隣の出店者さんに笑われたのよ、それも笑い話だけどね。

現在親子三人でお味噌づくりをする上で、お子さんたちに伝えていきたいことはありますか?

丁寧に作ることを大切にしてほしいね。雑に作ると、全部味に出ちゃうから。想いを込めて丁寧に作ったものを、ちゃんと届けてほしいですね。

まとめ

「全て手作りで作るから、作り手の気持ちが細かく行き届いたお味噌ができる」そう信じてお味噌づくりに生涯を捧げた5代目当主、太田庄輔さんの想いを継いで新たにお味噌づくりをはじめた平野ご夫婦。そんなお二人には、すでに先代と同じ想いが宿っているように感じました。

これまで守ってきたものを、これから守り続けていくために。そして、太田久助吟製がより多くの人に愛される方法を模索するために新たな挑戦を始めたお二人。そんなご夫婦が作る金山寺味噌の味が全国の人に伝わる日もそう遠くない、そう感じた貴重な時間でした。